山口地方裁判所 昭和38年(わ)198号 判決 1965年12月14日
被告人 宮田美津代
主文
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
本件公訴事実中、物価統制令違反の点については、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三五年四月ころから防府市栄町七丁目においてカフエー「ハリウツド」を経営するかたわら、同三七年八月ころから同市新天地においてカフエー「女王蜂」を経営していたものであるが、同三七年四月七日午前零時過ぎころ、右カフエー「ハリウツド」店内において、当時同店の女給であつた新井淳子が離職したい意思を有することを察知するや、後記手段により同女に精神的拘束を加えてその離職を阻止するとともに引きつづき就労させようと考え、同女の前借金三六、四一〇円の外、「客責任」と称する顧客に対する売掛未収金の集金責任額九五〇、〇四〇円、合計九八六、四五〇円につき、被告人の実妹大空恵美子をして右額を記載した書面を作成させたうえ、右新井淳子(当二〇年)に対し、署名および拇印の押捺を強要し、被告人が同店に出入りする暴力団田中会の会員と親密な関係があるように装いかつ右田中会の会員に売掛未収金の取立を委ねていたところから、かねて被告人を畏怖していた同女をして、前記書面に署名および拇印の押捺をさせて前記金額の借用証を作成させてその離職を阻止するとともに、引きつづき同三八年二月ころ同女が逃亡するに至るまで同女をして同店および前記カフエー「女王蜂」において就労させ、もつて同女の精神の自由を不当に拘束する手段によつて同女の意思に反して労働を強制したものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は労働基準法一一七条、五条に該当するから、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で、被告人を懲役一年に処し、情状により刑法二五条一項一号を適用して、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、全部被告人の負担とする。
(無罪部分の理由)
本件公訴事実中、物価統制令違反の点は、
「被告人は、昭和三七年八月一日頃から同三八年六月二六日頃までの間、防府市新天地において、カフエー「女王蜂」を経営していたものであるが、この種業態の店で女給が客にねだつて飲食する「フラツペ」と称する飲物は、本来は、リキユールーオンス又は二オンス(いずれも液量オンス。以下同様)をグラスに入れ、その上に、細かく砕いた永をグラスに満ちるまで入れて提供するため、顧客からはこれに用いたリキユールの種類および容量を容易に推測することができないので、被告人はかような「フラツペ」の特性に着目し、リキユールだけでなく、その他に安価な飲物であるジユース、カルピスあるいはぶどう酒、ガムシロツプ混合液等〇、五オンスないし一オンスを用いて適正価格最低一五円ないし最高二〇〇円のフラツペを作り、これをあたかもリキユール二オンスを用いて作つた「フラツペ」のように装つて顧客に提出して女給に飲食させることにより顧客から不法に一杯三〇〇円あての代金を受領し、売上げを増そうと企て、
(一) 昭和三七年一二月末頃から同三八年五月末頃までの間、前同店において、前後三回にわたり、別紙一フラツペ代金受領一覧表記載のとおり、内藤敏雄(三一才)外二名に対し、提供販売したフラツペ合計一〇一杯の適正価格は一杯最高二〇〇円であるのに、一杯につき一率三〇〇円の割で受領し、もつて適正価格を計一〇一〇〇円上まわる不当な金額を受領し、
(二) 昭和三七年八月一二日頃から同三八年四月一八日頃までの間、同店において、前後二二回にわたり、別紙二フラツペ販売契約一覧表記載のとおり、八木隆(四六才)外四名に対し、フラツペ合計八〇〇杯を提供するに際し、その適正価格は一杯最高二〇〇円であるのに、これを三〇〇円で提供し、もつて適正価格を計八〇〇〇〇円上まわる不当な額をもつて右フラツペの販売契約をし
たものである。」
というのであつて、検察官は被告人の右の所為を以て物価統制令九条の二に該当すると主張する。
よつて審理判断するに、
(一) 関係証拠によればフラツペとはリキユール(果実酒)に砕氷を加えた甘口の洋式アルコール飲料であることが明らかであり被告人が、防府市新天地のカフエー「女王蜂」において、別紙一記載のとおり一杯三〇〇円で「フラツペ」代金を受領し、別紙二記載のとおり一杯三〇〇円で「フラツペ」売買の契約をしたことは被告人において自認するところである。
(二) 物価統制令九条の二は不当に高価な価格で契約し、支払い、受領することを禁止しているのであるから、前記の価格で「フラツペ」代金を受領しその売買の契約をした事実が、不当に高価な額で受領契約したものと認められるか否かを判断しなければならないこととなるが、高価な額であるかどうかは右受領、契約の当時の近隣の公正な同種取引における取引価格を参酌した適正価格を標準として決定すべきであり、従つて先ず前記カフエー「女王蜂」に類似する施設業態におけるフラツペの適正価格が確定されなければならない。
(三) 峠本恒春、竹内勝之、山本博、土井為之進、松永将弘の司法警察員に対する各供述調書によれば、当時市内のいくつかのカフエー、バー、キヤバレー等においては、砕氷をシヤンペングラスに盛りこれにリキユール系洋酒一オンスを注いで作つた飲み物を一杯二〇〇円ないし二五〇円で販売していた事実が認められる。もつとも右カフエー等において右のような飲み物を必ずしも一般に「フラツペ」と呼称していたわけではない。
(四) ところで、前記カフエー「女王蜂」において、右いわゆる「フラツペ」の売買の契約をする取引の形態は次のとおりである。顧客は、女給を相手として一夜の遊興を楽しもうとして来店するのであるが、女給にせがまれてその歓心を得ようとして、右いわゆる「フラツペ」の売買の契約をさせられており、これを現実に飲むのは顧客自身ではなくて女給であるのが通常であり即ち売買の目的は買主ではなくて売主の雇人において消費するのである。しかも顧客自身は、右契約に当り、その内容が何であるかを知らないばかりでなく、その呼称さえ知らないのが通常である。
(五) 以上の点から考えると右いわゆる「フラツペ」の売買契約は商品自体の性質に着目してする通常の商品取引とは著しくその性格を異にし、その実質は給仕人又はカフエーに対するチツプに類するものであり、その法律的性質が仮にフラツペの売買であると解してもその価格は商品自体の価値よりもむしろその設備、態様、女給のサービス等に対する対価がその決定の要素をなすものと考えられる。そしてその適正価格は、カフエー、バー、キヤバレー等営業の設備、態様、女給のサービスの程度の如何に応じてかなりの高低の段階が存在しうるものと考えられる。ところが、同市内で前記飲み物を販売している各店の営業の設備、態様、女給のサービスの程度は明らかでない。
(六) このように解すると、防府市内における一般のカフエー等におけるフラツペの価格が金二〇〇円ないし二五〇円であるとしてもそのことだけを捉えてカフエー「女王蜂」のフラツペの適正価格が金二〇〇円であるとするのは早計に失するものと断ぜざるを得ない。このことは「女王蜂」のフラツペの原材料費が極めて低価な場合があつたことを考慮しても同様である。
(七) そして禁止されるのは不当に高価な価格による取引であるが、不当に高価であるとは単に高価であるというだけでは足らず一般社会通念に照らし不当と思われるほど高価であることをいうものと解せられるのであるが、前記の如き「女王蜂」におけるフラツペの売買の形態とその実質を考慮に入れるとき他のカフエー等における価格が二〇〇円ないし二五〇円であるものを三〇〇円で取引したことを以て不当に高価であるともいい難い。
(八) これを要するに、本件公訴事実中物価統制令違反の点については、前記フラツペの売買価格が不当に高価であることの証明が十分でないから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 黒川四海 平山雅也 大前和俊)
別紙一、二<省略>